11人が犠牲になった水島空襲から78年が経ちました。空襲の体験談を聞くとともに、爆撃の被害を免れるため地下に作られた工場を見学する会が開かれました。

おととい(24日)開かれた「水島空襲を考えるつどい」です。地元に残る戦争遺跡の保存に取り組む団体が行っているものです。

1945年6月22日、軍用機の工場が爆撃を受けた水島空襲。11人の死者と46人の重軽傷者が出たとされています。当時中学生だった佐藤源太郎さんが体験を語ります。

「黒いのがザーっと落ちて編隊から落ちる、しばらくすると大きな音で地響きがする」

続いて、訪れたのは亀島山地下工場。軍用機の工場本体から少し離れた場所に機能の一部を移し、本体が爆撃されても被害を減らすための施設です。

「戦争中は、穴の開いている所が入り口だったようです。門番が立っておりまして勝手に人が入って来ないように、一応、秘密工場なんでね」

地下工場を作るために、全長約2000メートルのトンネルが掘られ、当時の構造がそのまま残されています。参加者は危険が伴うダイナマイトを使った掘削が行われたことや、若い女性も航空機の部品作りに従事していたという説明を受けました。

(参加者)
「すごく大変な思いをされてたんだって、今では考えられないと思いました」
「凄惨なものを見させてもらいました。のちに語り継いでいってほしいです」

(「水島空襲を考えるつどい」村田秀石 実行委員長)
「この亀島山全体を平和公園のような形でね、市民の中で戦争と平和について考えていただける、そういった場所にしていけたらいいなというふうに思っています」