58年前の5月31日は新潟水俣病が公式確認された日です。その歴史と教訓を伝える式典が開かれ、被害者らへの祈りが捧げられました。
新潟水俣病の症状を訴える人たちや花角知事らおよそ50人が集まった式典。公害の歴史を次世代に伝えていこうと県が主催しました。

かつて、阿賀町にあった昭和電工 鹿瀬工場からメチル水銀が阿賀野川に流出。そのメチル水銀を摂取した魚を食べた人たちが手や足のしびれを訴えるようになったのが新潟水俣病です。

5月31日で新潟水俣病の公式確認から58年。関係者らは「二度と同じような公害を引き起こさない」そう願い、祈りを捧げました。

【新潟県 花角知事】
「後世に伝えていくことは水俣病を経験した本県の責務であると考えております。そして県民一人一人がその歴史を知り、教訓を考え風化させずに次の世代に伝えることが大切だと」
今も全ての被害者の救済を求めた裁判が続いています。新潟水俣病被害者の会の会長で手足のしびれに苦しむ小武節子さん(86)は一刻も早い解決を望んでいます。
【新潟水俣病被害者の会 小武節子 会長(86)】
「まだ解決していないと思うと私も本当に死んでも死にきれない思いです。出られるところは一生懸命出るようにして、少しでも皆さんのためになればと思って、この年になっても頑張っているんです」

県は、この式典について被害者の会ら関係者と協議しながら来年も開催していきたいとしています。
