4千枚を超える原爆写真を検証し、後世へ伝える公式な記録として遺した被爆者深堀好敏さん(享年94)の逝去を受け、後を継ぐ長崎平和推進協会 写真資料調査部会のメンバーが会見を開きました。

「これが現物です…」

会見では深堀さんが遺した『直筆のメモ』が紹介されました。

『写真の検証作業は 死者たちとの対面であり 助けを求めた人達を助けられなかった しょく罪』と書かれています。

長崎平和推進協会 写真資料部会 松田 斉 部会長:
「助けられなかった人達。これはもちろんお姉さんのことも含んでると思いますが…そういった人達への贖罪。償いの意味で取り組んでおられた」

今月21日に亡くなった深堀好敏さんが部会長をつとめた写真資料調査部会の会見です。

原爆で姉を亡くした痛み、生き残った“罪悪感”と”使命感”で資料に向き合う深堀さんと活動を共にしてきました。

深堀さんら被爆者6人が1979年に発足させた『長崎の被爆写真調査会』の活動がなければ “長崎の被爆資料は層の薄いものになっていた” とその功績を語りました。

写真資料調査部会 松田 斉 部会長:
「同じ被爆地の広島ではないと──私は少なくとも聞いたことがない。
被爆者の方が 自分達で被爆の写真を検証して記録していく作業に取り組むというのは」

「写真に写っていた場所で何が起きてどういう思いをみんながしたのか?が伝わっていないというのは 常にいつもおっしゃっておられたことなんですね。
遺志を継ぐと言えばありきたりになりますが、写真の内容を正確に伝えていくための努力を今後も続けていきたい」

深堀さんは4回訪れたアメリカの公文書館以外にも被爆資料は残っていると生前語っており、会では行政主導の収集に期待したいと話しています。