史上初めて被爆地で開催されたG7広島サミットは、21日、3日間の日程を終え、閉幕しました。
宮崎県内の被爆者、そして若い世代は、どんな思いで見守ったのでしょうか?

宮崎市に暮らす長沼京子さん(94歳)。
1945年8月6日、広島市内で看護学生だった時に被ばくしました。

長沼さんは、原爆で犠牲になった人たちのことを思いながら、G7各国首脳の被爆地訪問を見守ったといいます。

(長沼京子さん・9歳)
「いやあ、各国の首脳陣、よくね、慰霊碑の前に立ってもらえた~と思った。やっぱ被爆者としてほっとするわね。(原爆投下から)78年目やはね、これには感動しました。もう家で、ありがとうって私言った。(犠牲になった)あなたたちの声が、世界中に届いたよってね叫びたかった」

G7の首脳らは原爆資料館を訪問し、広島市在住の被爆者と対話しました。

(長沼京子さん・94歳)
「戦争っていうのはね、したらいかんっていうことはね、それぞれの首相の心の中にはね、芽生えたと思う。自分の国を守ると思えばね。戦争したらいかんわね」

また、首脳らは核軍縮・不拡散などをめぐって意見を交わし、G7として初めてとなる核軍縮に焦点を当てた成果文書を発表しました。

しかし、長沼さんは、これを複雑な心境で受け止めています。

(長沼京子さん・94歳)
「やっぱりね、もうすぐに核をなくそうって言ってもね、それは廃棄しないと思う。やっぱり、自分の身を守るために。実際にそれ(原爆)に出会ったものはね、もう本当に心から核廃絶を叫びたくなる。今度のG7が、私はね、これが平和の基礎になればいいかな」

今回のサミットを若い世代は、どう受け止めたのでしょうか。

去年6月までのおよそ1年間、核兵器の廃絶を目指す高校生平和大使に県内で初めて任命された、五ヶ瀬中等教育学校6年の金子未侑さんは…

(五ヶ瀬中等教育学校6年 金子未侑さん)
「核保有国も今回のG7サミットに参加していて、どう思ったのかっていうのが私は気になるんですけど、中国とロシアの敵対意識で結束する場ではなくて、世界をどういうふうに核軍縮に導くかっていうのがG7の目的の1つかなと思うので。これをきっかけに、ますます、核軍縮の方に導いてもらえればなと思います」

また、金子さんは「各国の首脳が原爆慰霊碑に献花した様子が、一番心に残った」とした上で、次のように話しました。

(五ヶ瀬中等教育学校6年 金子未侑さん)
「核兵器を使った戦争というか、被爆地っていうのは日本で最初で最後にすべきだっていうことが、私は(広島平和記念資料館に)行った時にそう思ったので、各首脳の方もそう思っていただければ、今の情勢を変えることが出来るのではないかなと思います」