
※当時監督だった工藤慶憲教諭
「多分私の予想とすると任せると話になると思うので『じゃあ、ここをもって打ち切ってやめよう』という決断をしようと思っていた」
※当時主将だった角谷宗一さん
「疲れたのが多分一番で、物を考えられていないのがあったと思う。試合の9~9.5割が守備なので」
角谷さんを始め「監督の判断に任せる」とした選手が相次ぎますが…。
※当時監督だった工藤慶憲教諭
「当時のエースの佐藤が『任せても良いけども、応援してくれる人もいるしな』と。そこで私にも迷いが生じて、『これで止めさせていいのかな』。迷っていたところで整備の時間が終わって選手が行こうとしたので『頑張るか』と送り出した」

それまで深浦ナインを支えてきた観客の声援が試合放棄を思いとどまらせました。そして深浦ナインは最後の1アウトまで戦い抜き、7回コールド、0―122で試合を終えました。
※当時の主将 角谷宗一さん
「とにかく長かったというイメージはある。終わってほっとしたに尽きる」
※当時1年生 松岡拓司さん
「やりきったに近い気持ちが強かった」
選手たちの姿は、試合のあとも大きな反響を呼びます。全国から学校へ届いた手紙には「何事にもくじけず、大いに頑張っていただきたく、遥か遠方から大いなる声援を送ります」と励ましの言葉がつづられていました。さらに、試合を終えてから3年が経った2001年には神奈川県の公立中学校で道徳の教材にも採用されました。


※当時1年生 松岡拓司さん
「もし、なんか苦しいことがあっても『最後まで何とかやり切ればいいことあるよね』と。いい意味で何かを感じ取ってもらうのであれば逆にこっちが光栄だなと思うし最後までやってよかったかなと思う」
※当時主将 角谷宗一さん
「ダメだった一面ばっか見るんじゃなくてそれがあって『それをどう生かすの?』という方向にもっていけるようにできるかなというのは伝えられるとは思う」


歴史的な大敗から25年。深浦ナインがいま噛みしめているのは、あの日グランドに立ち続けたからこそ、見えた景色があるということでした。