北海道の知床半島の沖合で、観光船「KAZU Ⅰ(カズワン)」が沈没してから6日で14日目…また、安全管理“軽視”の疑いが発覚しました。
 「KAZU Ⅰ」の事故当日の運航は、いわば“ぶっつけ本番”で、運航会社の社長が記者会見で話した、前日の安全確認のための運航には「出ていない」と元従業員が証言しました。

 元従業員は当日、ウトロ漁港で「KAZU Ⅰ」だけでなく、同じ会社が運航し、1時間半の短いコース(Ⅰは3時間)に出航した「KAZU Ⅲ(カズスリー)」の手伝いもしていました。
 「KAZU Ⅰ」の豊田徳幸船長とは、前日から会話していて、会社が臨時船長を雇ってまで「KAZU Ⅲ」を出航させることなどを聞かされておらず、元従業員が知らせると、絶句していたといいます。
 
 その事故前日の22日について、運航会社の桂田精一社長は記者会見で「4月22日に『KAZUⅠ』で豊田船長が他の運航会社の方と共に、海上の浮遊物を確認するために安全確認運航を行っております。これは本事故日の23日と全く同じコースでございます。そのための安全、23日を走るための安全確認を行っております」と説明していました。
 これに対して元従業員は「(22日に)23日のコースに『KAZU Ⅰ』は出ていない。豊田船長は他社の船に乗って確認に出ている」と証言しました。

前日「KAZUⅠ」は安全確認でコースに出たと説明した桂田社長

 違法とか、安全管理規程に背いているという問題ではないとしながらも、何か月も休み、今シーズン初めての厳しい海での運航が、いわば“ぶっつけ本番”、さらに社長は、その事実と異なる説明をしている…元従業員は、あの会社、あの社長に対して「海のことは素人だし、安全管理なんてあってないようなもの」と厳しく指摘しています。

「KAZUⅠ」の豊田徳幸船長(フェイスブックより)

 また、海底に沈んだ「KAZU Ⅰ」の船内の写真を見ると、元従業員は「おそらく船内には誰もいない。椅子は全て3人がけで、足が6本付いている。小さな子どもなら(椅子の下に)入るかもしれないが、大人が入れるスペースはない」
 「左舷の出入口のドアが開いているが、このドアを開けるにはコツが必要で、誰でも開けられるものではない。船長か甲板員が開けたもので、皆、船内からは出たのでは」と話しました。

海底で開いていた「KAZUⅠ」の左舷の出入口ドア(撮影:北海道警察)

 さらに、沈没の原因について問われると「エンジンの調子が悪かったとは聞いていない。船底の傷、ひび割れは毎年あって、中に入った水を抜いていた」
 「毎年、修理していたが、今年は間に合わず、修理せずに出航していた。豊田船長には『今季は間に合わないから、来季、船を陸に揚げたら修理しろ』と言った」
 「毎年、水は溜まっていても、動いていたので、直接的な原因ではないかもしれない」としています。

 桂田社長をめぐっては、会見で問われた運航基準について「さっき話した1メートル、8メートル、300メートルというのは安全管理規程には書いていない」「各社小型船舶の中で暗黙の了解みたいのがありまして」と説明後、家族への説明会で配った資料には「風速8メートル、波の高さ0.5メートルという運航基準を明記。
 そこには「航行中に気象状況が風速8メートル、波の高さ1メートル以上になるおそれがあるときは、出航を中止しなければならない」とも書き込まれていました。

桂田社長が数字を書き込んでいたと家族への説明会で主張を変えた資料

 二転三転する説明…元従業員は「桂田社長が運航管理者だったことは知らない。去年、亡くなった前任の運航管理者は、事務所にはりついて、出航前の船長との話し合いや各ポイントで定時連絡のやり取りをしていた」。
 その後は「事務所の前に社長の車があるのは見かけたが、間違いなく事務所の中にずっといたわけではないと思う。事故当日もいなかったわけだし」と証言しています。

 ろくに注意報も確認せず、当日“ぶっつけ本番”で出航したとみられる「KAZU Ⅰ」…元従業員は「豊田船長は、5人でやっていたような仕事を、1人でやらされていた」。
 「お客さんもそうだけど、早く見つかって欲しい。一緒に酒飲んだこともあるんだから、豊田さんは…だから、早く見つかって欲しいよね」と話し、捜索や捜査を見守っています。

 一方、桂田社長は7日にも、事故の補償について家族に説明する見通しです。


5月6日(金)午前11時10分配信