「戦争花嫁」となった桂子さん 敵国だったアメリカ人と結婚に周囲は

桂子さんは現在、アメリカ・オハイオ州で暮らしている。1951年、20歳の時にアメリカ軍の兵士と結婚し、海を渡ったからだ。

戦後の苦悩や葛藤は、TBSドキュメンタリー映画祭『War Bride 91歳の戦争花嫁』でも描かれている。

戦争を憎みながらも、敵国だったアメリカ人を憎まなかったのはなぜなのか?桂子さんの甥であり、映画の監督である川嶋龍太郎の問いかけに、桂子さんは平和を理由に挙げた。

ーー桂子さんは、なんで戦後たった5年で敵国の軍人と結婚したんですか?

「たった5年って…。もう5年でしょ。戦争は終わって、日本は未来に向かって豊かになっていこうとしている、元気になっていく復興の最中だった。平和に向かっていく中では…もう5年、なのよ」

ーー平和の中では、アメリカ人は憎くなくなるのですか?

「私にはそもそも『アメリカ人が憎い』という発想がないの。戦時中は、自分の命を守る行動のみで精一杯。爆弾は怖いが、その爆弾を落とした相手を考える暇はなかったの」

ーー戦争や、国は憎いと思っても、人は人ということでしょうか?

「相手を知ってみると人を憎むことが少なくなると思う。それは日本人も外国人もないと思うんです。

私は夫を人間として好きになったんです。1950年頃は、日本はボロボロでした。日本にはアメリカの進駐軍が闊歩し、彼らの国のようでした。そして、日本の女性はアメリカ軍人と歩いているだけで、娼婦と見なされました。でも、夫と歩くことを、私は嫌じゃなかったし、止めようともおもいませんでした。だって、私は何も悪いことをしていないし、悪く言われるとこちらが怒りたくなりました。

人を知れば、国籍は気にならないし、人種差別という言葉も存在しない。人と人のつながり、触れ合いこそが平和をもたらす。人と人が付き合えれば、戦争は起こらなくなると思っています」

桂子さんにとって空襲とは、身近の人たちの死を意味した。そんな残酷な光景が二度と繰り返されたないためには、国を超えた人と人のつながりが必要だと感じている。桂子さんは92歳になったいまでも、日本とアメリカの架け橋となるべく、両国の人と人をつなぐボランティア活動を続けている。