トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長(97)が、14日午後4時48分に心不全で亡くなりました。
豊田章一郎氏はトヨタの創業者・豊田喜一郎氏の長男で、豊田章男社長の父親です。
CBCテレビのニュース映像から、その足跡を振り返ります。
【1991年】トヨタ自動車 豊田章一郎社長「販売計画見通しで会見」

〈当時のニュース原稿〉1991年6月18日放送「CBCニュースワイド」より
名古屋で記者会見をしたトヨタ自動車の豊田章一郎社長は、今年の販売計画の見直しを検討していることを明らかにして、当初計画を下方修正することを示唆しています。
豊田章一郎社長(当時)「当初から今年はモーターショーがありますから、モーターショーに向けて各社新しい車が出るということで、後半はかなり需要は旺盛になってくるというふうに見ておりますが、その見方は大体変わりないと思います。しかし全般の実績がこういうふうだったという実績を踏まえまして、多少修正していこうというふうに考えています」
【1992年】土曜の社長室 豊田章一郎社長「国際社会の中でのトヨタ自動車」

〈当時のインタビュー〉1992年6月13日放送「CBCニュースワイド」より
豊田章一郎社長(当時)「今までは日本のトヨタ自動車の、基本的な考え方ということですが、これからはアメリカにもトヨタ自動車があるし、ヨーロッパにもあると。他の国にもあるということで、そういう人が同じような考え方で未来に行こうじゃないかと」

Q.社長も常時持ってらっしゃる?
「持ってはいますけどね。はい。この頃はこういう額に少し…方々に飾っていると」

Q.今、持っていらっしゃいますか?裏に何か英語で書いていますね?
「それは先ほど申しましたよね。英語で書かないと…これですけどね。これで裏に英語で書いてあるんですよね。本当の意味で自動車を世界中の人がですね、喜んで使ってもらえるという世の中を作りたいと、思ってるわけですよ」

豊田章一郎社長(当時)「それに対して努力していこうということで、そのために、部品屋さんとか販売店、皆さんと共存共栄してやっていくと。地域社会とも融和してやっていくという考え方でやってきましてね。車を輸出だけするんじゃなくて、そのお使いになってる国で、やはりある程度は作っていくという方がいいんじゃないかと」
「最初は完成車をずっと輸出しておったわけですが、段々とその数が増えてくれば、現地でも生産してもいうことでやっておりました。その考え方は現地でも受け入れられて、非常にいいんじゃないかなと」
「ただし私どもはいっぺん始めた以上は、これがやっぱり末永く発展していかなくちゃならない。途中で不景気になったらやめちゃうというようなことはやりたくないということですから、急激に大きくするということも難しいし、やっぱり一歩一歩現地に溶け込んでやっていうことがいいんじゃないかなというふうに思ったんですよ」