日本サッカー界のレジェンド・ラモス瑠偉氏(69)が8月30日、TBSテレビ「KICK OFF! J」に出演。放送後の配信限定コンテンツ「アディショナルタイム」のコーナーで、かつて自身が出場したアジア大会の苦い思い出から、日本代表の意識改革の原点、そして若き代表選手たちへの熱いエールまで、溢れ出る“サッカー愛”を語りつくした。

「何もできなかった」苦い記憶から始まった代表改革

現在の日本代表といえば“サムライブルー”の青いユニフォームだが、当時の代表が着用していたのは鮮やかな「赤」。ラモス氏は、日本国籍を取得する前からスタンドで試合を見に行き、その赤いユニフォームに強く憧れていたことを明かす。

「最高でしたね!なんとかこの日本代表を強くしたいという気持ちでいっぱいだった」と袖を通した瞬間の歓喜を振り返るラモス氏。しかし、そうして臨んだ1990年の北京アジア大会は、自身にとって「自分個人では何もできなかった」というショックと苦い記憶の残る大会となった。

ピッチ上で目の当たりにしたのは、チーム全体の戦う姿勢やプロ意識の低さ。「このままではどこにも勝てなくなる」と強い危機感を抱いたラモス氏は、当時の横山謙三監督のもとへ向かい、代表辞退まで申し出る。しかし、チームの惨状を同様に感じ取っていた横山監督は「ダメだ。お前、キリンカップに来い」と引き留め、そこから合宿でのやり方やチーム全体の意識改革が始まったという。

「スタートは横山監督だったと思います。そしたら合宿でやり方が変わって、横山監督の下で初めてキリンカップで優勝できた。その後にオフトさんが来て、ダイナスティカップやアジアカップで優勝して世界と戦えるようになった」

アジア大会の悔しさがあったからこそ、その後の強さにつながった。苦い経験を糧に、日本代表としての誇りと覚悟を築き上げてきたラモス氏だからこそ語れる、歴史の裏側が明かされた。