200年前に造られた!?現在は使われていない廃参道へ

さっそく普門寺を目指して、県道296号から分岐する道へ。目的とする参道の入口には石碑があり、“第十九番普門寺”と記されています。
34か所の霊場を巡る「安房国札観音霊場巡り」の起源は、鎌倉時代にさかのぼります。疫病や飢饉に苦しむ人々を救おうと高僧たちが巡拝したのが始まりとされ、江戸時代には庶民の間でも広く親しまれるようになりました。「普門寺」は34か所中19番目で、この石碑は参道の入口に立つ道標だそう。
その石碑から藪をかき分け進み、「ここが参道の廃道。今はもう歩いている人はいない様子」「崩れた灯篭(とうろう)かな。参道ならではって感じがする」と石井さん。
そして、荒れた山道を歩くこと30分。

(道マニア・石井あつこさん)
「隧道というよりも、洞門の方がしっくりくるかな。中に階段もある」
くり抜かれた岩を抜けると、仏像を並べていたと思われる祭壇のようなスペースや、祠を置いていたとされる複数の窪みを発見。また、隅に寄せられた瓦や木材の瓦礫も。「本の中に“懸造(かけづくり)”という表記があった」と石井さん。崖や急斜面に長い柱と梁を組んで建物を支えていた懸造を解体した痕跡なのではと推測します。
(道マニア・石井あつこさん)
「実はすごく歴史が古くて、この普門寺が開かれたのは747年。天平(てんぴょう)時代までさかのぼる」
「普門寺」の始まりは、奈良時代の747年。仏教僧の行基(ぎょうき)によって創立されたと言われています。

創立当初は別の場所にありましたが、文化年間の1804年~1818年にこの山に岩屋が造られ、お寺は移転されました。しかし、江戸時代末期からは住む人がいなくなり、境内は夜盗たちの根城となってしまいます。
(道マニア・石井あつこさん)
「野党・山賊みたいな“赤忠(あかちゅう)”という一味が根城にしてしまったので、大正時代に入ってからここの観音様は集落の方にある『正文寺(しょうぶんじ)』に移された」














