「広島市内が燃えていた」

その後、引率した教員とともに川を渡り、己斐の山へと避難しました。
「広島市内が燃えてましたね。お父ちゃん、お母ちゃん言ってね、泣き泣き叫んでいる人もいたし、ああ、街が燃えているわ、うちの家も燃えているかね、とみんな言い合いながらね、見てた」
両親と3つ下の妹とは翌日再会することができました。しかし、睦子さんはついに帰ることはありませんでした。

睦子さんはあの日、爆心地から約800メートルで、空襲により火災が広がるのを防ぐため、建物を取り壊す建物疎開の作業にあたっていました。
同じ作業現場にいた1年生は223人…。その全員が原爆に命を奪われました。
そしてその多くの女学生がいまも行方不明のままです。














