市街地の99.5%が焼失し、約3000人が犠牲となった富山大空襲。その惨劇の舞台となった富山市のいたち川で、犠牲者を慰霊し続けてきた夏の風物詩「灯籠流し」が、担い手の高齢化により今年で幕を下ろすことになりました。戦後50年の節目から約30年続いてきた伝統の終了に、戦争体験者からは「何とか続けられないか」と存続を切望する声があがっています。

ろうそくの火に亡き人への思いを込めてそっと灯籠を川に浮かべる「灯籠流し」。毎年7月24日に行われている、富山市・いたち川の夏の風物詩です。

参加者
「毎年来てます。父母、祖父祖母とか思い出しながら」

姉妹で参加
「去年は一緒に母を見送りに来たんですけど、ことしは最後だということで、また思い出に残るように姉妹で」

姉妹で参加
「主人を亡くしているのでこれが供養になればいいのかなという思いで、きょうは一緒に来させてもらいました」

今では家族の供養や家内安全を願って参加する人が多いですが、灯籠流しは戦後50年の1995年に、いたち川沿いの町内会が富山大空襲の犠牲者を慰霊するために始めました

【富山大空襲】
1945年8月2日未明。富山市の市街地は米軍のB29による凄まじい爆撃で、約3000人が犠牲となり、約11万人が被災しました。市街地の99.5%が焼き尽くされ、地方都市では最悪の被害でした。

寺島正一さん(90)
「もう焼け野原だからね、もう何もないですから。焼けたトタンを集めて三角に組んで(生活した)」

いたち川には、炎や熱風を逃れようとした大勢の人が飛び込み、命を落としたと言われています。

犠牲者を悼むために多い年には1500個もの灯籠が流されましたが、運営するスタッフが高齢化。年々負担が大きくなってきたことから、ことしで幕を下ろすことが決まりました。

灯籠流しを支えてきた人の中には戦争体験者もいます。

高木勲さん(85)(空襲当時は山室に住んでいた)
「(いたち川に)材木並べたように死体が浮いておったちゅうんだろ。それを聞いた時に、私らそういう目に遭わなかっただけでも幸せなんじゃないかね。誰も死にたくて死んだもんはおらんがだから。世の中豊かになってきたはずなのに、誰も(灯籠流しの)世話をする人がおらんと言って、やめるって話になってるから、私は個人的に言うたら賛成したくない」

石倉町延命地蔵奉賛会 太田行雄会長(81)
「今でもイラクなどで戦争やっとる。戦争は絶対したらだめ、あれは人の殺し合い、絶対やめんにゃだめだよ、本当に。これ(灯籠流し)を将来に残していきたいが私は」

いたち川の戦争の記憶を平和の尊さとともにどうやって伝え続けていくことができるのか、灯籠の淡い光が問いかけています。