敗戦、台湾で難民に
台湾でも空襲が激しさを増すなか、親戚の家を点々としながら過ごしていました。そんな過酷な日々のなかでも、キヨ子さんは地元の子どもたちと打ち解け、ある言葉を教えてもらいました。
「ご飯食べましたか? “チーチャッパーホイ”。食べましたは “チャッパーラー”。 まだの人は “ボーラー” 」
しかし、日本の敗戦をきっかけに暮らしは一変しました。
「台湾の子どもたちは、私たちを見たら「シーカー、シーカー」と言うんですよ。向こうの言葉で、4つ足の動物という、蔑むような言葉」「日本人の巡査が汽車に乗ろうとしたら引きずり下ろされて、暴行を加えられたとか、そういう大変なニュースばかり聞こえた」
混乱した状況のなか、終戦からひと月ほどたったころ奇跡が起きます。宮古島から父・朝源さんが迎えに来たのです。朝源さんは生きていました。














