父親「抗議船に乗ることなど全く知らなかった」
この3か月で当時、武石さんを守るはずだった大人たちのずさんな対応が次々と明らかになっています。
知華さんらを乗せた船が港から海に出て行った当時、波浪注意報が発表されていました。

3月16日、修学旅行に来ていた武石さんは7つの平和学習コースから「辺野古をボートに乗り海から見るコース」を選択。
しかしこの「ボート」は一般的なボートではなく、米軍基地移設に反対する、いわゆる“抗議船”でした。
武石さんの父親(noteより)
「私は当日まで、知華が『抗議船』に乗ることなど全く知りませんでした。知華自身もこのコースの背景をほとんど理解していなかったようです。もし、私が『辺野古・ボート』という単語にもっと敏感に反応できていたとしたら。でも正直、当時の私たちが疑問を持つには、私たちが学校を信頼しすぎ、そして提供されていた情報があまりに少なすぎました」
武石さんたち18人の生徒は、2隻に分かれて乗船。
しかし引率の教員は、乗り物酔い体質であることなどを理由に船に乗っていませんでした。現場にいた教員は、当日波浪注意報が出ていたことも知らなかったといいます。

さらに、船を運航していた「ヘリ基地反対協議会」は運航可否の基準を明文化しておらず、最終的な判断を船長に一任。抗議船は武石さんたちを乗せて出航していきました。
しかし、事故当日の海を見た地元の住民は…
Q.事故当日の海の様子はどんな状況だった?
地元住民
「(当時は)波が高くて、海に出るような状態ではなかった。突風がぶわって吹いて…」

午前9時48分、事故の直前。海上保安官が「波が高いので十分気を付けてください」と2隻の船に呼びかけます。
しかし22分後、前を航行していた「不屈」が転覆。武石さんが乗った「平和丸」も2分後に転覆。
海上保安官が救助に向かうと、生徒など21人は全員荒れた海に投げ出されていました。
このうち20人は事故から40分以内に救出されました。しかし、その中に武石さんはいませんでした。














