父のそばに埋葬 可哀そうでならない
<山形新聞 1953年12月17日>
「恨めし『斬れ』の命令」―吾が最期の夜とも知らずみちのくに帰りつつあらん老母思うー ”遠足のようだ”と刑場へ
愛子の小さな遺骨を前にとめさんはジーっと両手を合わす、物もいわずに動かぬこの母は泣いているのか?犠牲になった我が子にかぎりないいたわりの言葉をかけているのだろう。「稔は立派な最期だったとききました。元陸軍少佐だった父の遺骨のそばに埋葬し冥福を祈りますが可哀そうでなりません」と語り、”壁あつき部屋”で死と対決した我が子の模ようを次のように明らかにした。
”壁あつき部屋”は、同年3月に理論社から出版された「壁あつき部屋 巣鴨BC級戦犯者の人生記」のことを指すとみられる。巣鴨に在所するBC級戦犯37人による手記をまとめたもので、新聞が取り上げるなど話題となり、当時、BC級戦犯を指す代名詞となっていた。
















