基地、兵士の宿舎などを建設した米軍

「真志喜とか宇地泊とかね。大謝名のこの一帯上の方、いっぱいテントの兵舎がたくさんあって、コンセットもありました」「200、300メートルぐらいのところに教会もありました。そういう非常に落ち着いた生活の空間だった、アメリカからすればね」

宜野湾の人たちの家屋を壊す米軍の重機

4月1日、沖縄本島へと上陸した米軍。5月になる頃には今の宜野湾市がある一帯を占領します。そして日本本土への侵攻を見据え、今の普天間基地の原型となる飛行場を建設します。

宜野湾市立博物館 平敷兼哉館長:
「宜野湾村の中での中心地っていうのが普天間飛行場内のこの宜野湾村、字宜野湾ですね。この部分になります。ここの中には宜野湾の村役場であったりとか、宜野湾国民学校とか、そういう施設がとか、学校とかがあって、一番中心地がここになります」

1945年1月ごろに米軍が上空から撮影した写真に、今の普天間基地を重ね合わせたものです。宜野湾、神山、中原、新城…これらの集落は大部分が米軍に接収されました。

17世紀後半、尚貞王の長男、尚純によって整備されたとされる琉球松の並木道。

普天間基地のある土地にかつてあった、琉球松の並木道

琉球国王が普天間宮に参拝する時に通ったとされ、宜野湾で暮らす人々の誇りでしたが、その大部分は普天間基地となり、今はもう残っていません。