当初、5年から7年とされた返還時期を大きく超えても、普天間基地はいまだ変わらず運用が続いています。移設問題に関わってきた当事者たちは今何を思うのか。民主党政権時代に防衛大臣を務め辺野古移設にも関わってきた森本敏元防衛大臣に聞きました。
在任中を回想 「オスプレイ」と「尖閣」が主任務
現在、拓殖大学の顧問を務める森本敏元防衛大臣。民主党政権時代の2012年に、民間出身者としては初めてとなる防衛大臣に就任しました。
森本敏元防衛大臣:
「この30年の期間が必要だったのは、初めからそういうふうに計算していたわけではないですけれども、途中で計画が変更になったということがありますけれども、それは別に(日本政府と沖縄)どちらに責任があったわけではないということです」
防衛大学校を卒業後、航空自衛隊や外務省を経て、慶応大学などで教鞭をとったのちに、防衛大臣補佐官を務めるなど、安全保障のスペシャリストとして政府の要職を担ってきました。
「私の任期中に非常に深く関わったのは、オスプレイをどうやってこの沖縄に持ってくるかということにもっぱらの努力をつぎ込んだのと、もう一つはですね」「(中国の)艦艇が日本の尖閣の領域内に入ってくるようになり」「この2つの問題に取り組むというのが私の主たる任務でした」
森本さんが防衛大臣を務めた時期は、オスプレイが沖縄に初めて配備された頃と重なり、頻繁に沖縄を訪れては、オスプレイ配備に理解を求めました。














