かつて、宮崎の美しい海岸線を走っていた宮崎軽便鉄道。その歴史を後世に伝えようと当時と同じデザインの駅名標が復活しました。20日はこの復活を記念して除幕式とウォーキングイベントが行われました。
大正から昭和までのおよそ50年間、運行していた「宮崎軽便鉄道」。
宮崎市赤江から内海までの20.1キロを結び、蒸気機関車やガソリンを燃料とする気動車などが走っていました。
全盛期には年間125万人が利用。
観光路線として多くの人に親しまれていました。
こうした中、宮崎市は、宮崎軽便鉄道の歴史を後世に伝えようとかつての「白浜駅」跡地に、当時と同じデザインの駅名標を再現。20日は、その除幕式が行われました。
式のあとには、ウォーキングイベントが開かれ、参加者は、鉄道の歴史について解説を聞きながら当時の様子を思い浮かべていました。
(参加者・母・子2人)「(写真で見た鉄道は、)ちょっと黒かったけど、大人っぽかった」「探検みたいで、列車が通っていたらという気持ちが伝わってきた」「昔の人は、この素敵な景色を見ながら、電車に乗っていたんだろうなと私も乗ってみたいなという気持ちになりました」
(宮崎市教育委員会文化財課 井田篤さん)「こういうインパクトの強いイベントをたくさん組んでいって、そして宮崎のアイデンティティみたいなものを醸成させていければなと考えております」
また、青島サンクマールでは、宮崎軽便鉄道の写真展が、今月29日まで開かれています。
昔は「こどものくに」までこの軽便鉄道で遊びに行っていたようです。
今も青島地区には、当時の橋脚が残る場所があり、また当時走っていた蒸気機関車は、宮崎市原町の児童交通遊園に展示されています。
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