蒸し焼き、一酸化炭素中毒…防空壕内で犠牲になる人が全国に相次ぐ
1940年に内務省が出した防空壕の作り方が記された文書には、防空壕は「応急的待避施設」だと書かれていました。

東京大空襲・戦災資料センター 小薗崇明さん
「あくまでも当時の防空壕は、一時避難場所に過ぎなかった。命を守るものとしては作られていない。(空襲の際)防空壕から出てきて市民は火を消さなければいけなかった」
国は戦争を続けるため、国民が空襲で戦意を失わないよう“焼夷弾は簡単に消せる”と盛んに伝え、「防空法」という法律で逃げることを禁じて消火を義務付けました。

防空壕は消火活動をはじめるまで一時的に身を隠す場所に過ぎず、簡易的なものでいいなどと指導しました。
その結果…
東京大空襲・戦災資料センター 小薗崇明さん
「(外に出られず)そのまま蒸し焼きになってしまう。一酸化炭素中毒になってしまう。防空壕がつぶれて生き埋めになって死んでしまうことがある」
東京のほか、富山市や愛知県豊川市など、全国で防空壕の中で市民が犠牲になるケースが相次ぎました。














