「安全だと思っていた」国へ怒る経験者の実体験

東京大空襲・戦災資料センターに展示されている防空壕の模型。
当時8歳だった二瓶治代さんの記憶を元に再現したもので、周りを土嚢で囲っただけの簡素なものです。

東京大空襲を経験 二瓶治代さん(89)
「空襲の時はとにかく防空壕に逃げる。そのために作ると言うから、安全だとばかり思っていた」
東京大空襲の夜、二瓶さんは隣の家族と一緒に、この防空壕に入りました。ところがそこに父親がやってきて、「蒸し焼きになるから外に出ろ」と言います。
東京大空襲を経験 二瓶治代さん(89)
「先に入ってた隣のおばさんが私の服を引っ張って『外に出たら焼け死んじゃうよ。だからここにいな』と言って」

二瓶さんは、女性の手を振りほどき外へ。走って逃げて振り返ると、自宅も周りの家も全部燃えていました。
東京大空襲を経験 二瓶治代さん(89)
「近所にとても優しい小児科のお医者様とか獣医さんがあった。八百屋さんとか駄菓子屋さんとか。そういう家がみんなゴーゴーゴーゴーものすごい勢いで燃え上がっていた。
消防士たちはホースで水をかけて、火を消しながら自分の体に火がついていた。ホースを持ったまま生きたまま焼かれて、バタバタバタバタと倒れていた」
空襲後に戻ると、防空壕はつぶれ、隣の家族は中で亡くなっていました。

東京大空襲を経験 二瓶治代さん(89)
「危険だとわかりながら簡単なものをつくらせた。本当に国民の命を守ることをしなかった。命をすごく軽んじた時代だったと。今非常に国に対して怒りを感じます」














