東京大空襲から81年。避難場所と思われた防空壕の中で多くの人が亡くなりました。空襲を経験した方や専門家の証言、当時の資料などから明らかにしていきます。
「叫ぶ声がだんだん悲鳴に変わる」経験者が語る空襲時の体験

東京・中央区の常盤小学校。廊下にある扉を開けると地下に続く階段があり、鉄製の重い扉を通り過ぎていくと、80畳ほどの空間が広がっていました。
81年前に使われた防空壕です。

中央区立常盤小学校 浮津健史 校長
「疎開できない30人の子供たちが毎日登校していた。東京大空襲の時には30人の子供たちが避難する場所というふうに使われた」
1945年3月10日の東京大空襲。1600トン以上の焼夷弾で街は炎に包まれました。約10万人の命が奪われました。

「学校の防空壕に避難しろ」
6歳だった西尾静子さんは、父親にそう指示されました。
その後、母と一緒に近くの高校の防空壕に避難。扉が閉まった後のことが忘れられません。

東京大空襲を経験 西尾静子さん(87)
「(防空壕の扉を)大勢の人がドンドンドンドン叩く。『ドアを開けてください。中入れてください』叫ぶ声がだんだん悲鳴に変わる」
空襲が収まり外に出ると、黒こげの遺体が積み重なっていました。














