【中心市街地で鷹を飼う(牛も)】
下通と新市街を捉えた、1975年(昭和50年)の空撮写真です。画面中央を左右に伸びているのが、天蓋ができる前の新市街商店街。画面左手には銀丁百貨店があるはずですが、手前の高い建物に隠れてほとんど見えません。
現在「新市街」という町名なっているこの一帯は、1965年(昭和40年)の住居表示改正までは、たくさんの小さな町に分かれていました。
なかでも変わった町名が「鷹匠町(たかじょうまち)。この一帯は江戸時代には武家屋敷で、御鷹匠衆が住んでいた事からこの名がついたそうです。江戸時代末期の絵図には、ここに「鷹部屋」があったことが記されています。

現在の「鷹匠町」付近(中央区新市街9 2026年3月撮影)
明治に入ると、新市街一帯は西南戦争の激戦地となり、鷹匠町も焦土と化しました。その後1883年(明治16年)に、高木第四郎氏(後の帝国牛乳協会会長、九州新聞社社長)が、ここに乳牛5頭を飼う160坪の牧場を作ったそうです。空襲で再び焦土となるも、熊本を代表する繁華街として復興した現在の旧鷹匠町付近の様子からは、ここで鷹が舞ったり、牛が草を喰んでいたりしたことなど、全く想像できません。
<参考文献>
「新熊本市史」(熊本市)
「熊本都市形成史図集」(熊本市都市政策研究所)
「熊本市 統計情報室」(熊本市政策局総合政策部データ戦略課)
「番地入 熊本市全図(1955年)」(塔文社)
熊本地名研究会「くまもと城下の地名」(熊本日日新聞社)














