田老地区は明治・昭和の三陸大津波の教訓から高さ10メートル、総延長2.4キロの防潮堤が整備され、その大きさから「万里の長城」とも呼ばれていました。

しかし、震災では、その巨大な防潮堤を津波が乗り越え、田老地区では181人が犠牲となる甚大な被害を受けました。
あの日、新屋さんは店で仕事をしていましたが、強い揺れを感じ急いで高台へと避難。そこから見たものは・・・
(新屋正治さん)
「恐る恐る見えるところまで行ったら瓦礫の山でした。この世のものではないというか・・・。かすかに『助けてくれ』という声も聞こえてきたからね、何ともできなかった」

田老の中心部で国道45号沿いにあった店舗と海沿いの自宅は流され、思い出も日常も全て津波にのみ込まれました。














