今から75年前、終戦後旧ソ連からの抑留中に死亡した宮城県登米市出身の男性の遺骨が19日、遺族に引き渡されました。遺骨は、2011年に政府によってロシアの埋葬地から収容されていて、DNA鑑定の結果、身元が判明しました。
遺族に引き渡されたのは、登米市東和町出身で旧陸軍の櫻戸貫夫さんの遺骨です。

櫻戸さんは1941年、20歳のとき招集され、1947年7月15日、旧ソ連による抑留中に26歳の若さで亡くなりました。死因は、栄養失調症と急性肺炎でした。
19日は、櫻戸さんが生れ育った若草稲荷神社に県の職員が訪れ、櫻戸さんの甥で、宮司の櫻戸正道さんに遺骨を渡しました。

甥の櫻戸正道さん:
「おじさん、ようこそお帰りくださいました。極寒の見知らぬ地で大変な苦労をされ、辛い思いをされたことでしょう」

櫻戸さんの姪、鈴木由美さん。91歳になる母親は、11歳離れた兄の櫻戸さんの人柄について次のように話しているといいます。

姪の鈴木由美さん:
「貫夫さんは長男だったので、非常に家のことを大事にする方だった。(戦地から)お母さんを大事にしているかとか近所の人はどうかなど気を配る手紙がよく届いていた」

厚労省によりますと、ロシアのハバロフスク地方にある日本兵の抑留中死亡者の埋葬地から政府が2010年から2012年に収容した遺骨120柱のうち、118柱をDNA鑑定しました。その結果、2011年8月に収容した櫻戸さんの遺骨が、甥の正道さんらと親族関係にあることが判明しました。
甥、櫻戸正道さん:
「本当の兄弟、家族と会いたかったと思う。本当に人柄が良く家族思いだった。大変うれしく思う」

櫻戸さんの遺骨は来春、神葬祭を行い、両親らが眠る登米市内の墓に納められることになっています。

旧ソ連抑留中死亡者のDNA鑑定は、2003年から行われていて、県内で遺骨の身元が判明し遺族に引き渡されたのは、櫻戸さんが22例目となります。














