戦後80年を迎えた去年、広島駅のホームには市内電車が乗り入れ、駅ビルも新しく生まれ変わりました。その広島駅南口には、かつて闇市が所狭しと軒を連ねていました。イズミが生まれたのは、この闇市でした。
山西さん
「広島は『仁義なき戦い』とかね、全国でも暴力団が力をつけた有名な都市なんですよ。勢力争いをやってね、切った張ったの街だった。だから、昼の日中にね、日本刀と短刀でチャンバラやってもね、警察に通報しても来ないんですよ」
山西さんはそんな闇市の一角に戸板を敷き、小さな露店を構えました。商品に選んだのは、農家出身の戦友から仕入れた干し柿でした。
山西さん「コメとかムギとかね、そういうものを売ったら罰せられるのね、食糧法違反で。衣料もそう。ところが、干し柿は統制外。だから良かった」
甘いものに飢えていた人々は殺到し「飛ぶように売れた」といいます。そんなある日、小さな子どもを連れた若い母親が店を訪ねて来たそうです。母親は1着の着物を抱えていました。
山西さん
「幼い子どものために…『子どもがお腹を空かしとるから』って自分が持ってきた花嫁の衣装を、干し柿と換えて欲しいと言われたんです。今思い出しても、涙が出る」














