「超人ロック」などの作品で知られる、漫画家・聖悠紀さんが、今年10月に肺炎のため亡くなっていたことがわかりました。72歳でした。少年画報社の公式サイトが公表しました。葬儀式はご家族のみで執り行い、後日「お別れの会」 を予定しているということです。

【 少年画報社 公式サイトより引用 】
訃報
漫画家 聖悠紀先生が2022年10月30日(日)、肺炎により急逝されました。
享年72歳でした。
ご冥福を心よりお祈りすると共に、 ここにお知らせさせて頂きます。
葬儀式はご家族のみで執り行い、後日「お別れの会」 を予定しております。
詳細が決まりましたら、 編集部よりお知らせ致します。
事後のご報告になりましたことをご容赦頂きたく、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
また、ご供花やお香典等はお気持ちのみでご遠慮下さいますよう重ねてお願い申し上げます。

読者の皆様、長い間 聖悠紀先生の作品をご愛読頂きありがとうございました。
どうぞご自身が一番好きな聖悠紀先生の作品を思い出しながら、
静かに故人の冥福を祈って頂ければ幸いです。
ヤングキングアワーズ編集部

「超人ロック」を長い間、執筆されていた聖先生が銀河の彼方に旅立たれました。
とても・・・とても残念でなりません。
「超人ロック」は1967年、 先生が17歳の時に同人会・作画グループの肉筆回覧誌への提出作品として生まれました。 翌年に大学受験を控えた初秋に 100ページ近い作品を完成させたのです。
「ニンバスと負の世界」 がそれです。
69年に「この宇宙に愛を」。 71年に「ジュナンの子」。
74年に「コズミックゲーム」。 そして77年に「ライザ」が描かれ、「ランデヴー」という商業誌に 78年1月から5月まで 「新世界戦隊」が連載され、大きな注目を浴び、79年に「週刊少年キング」誌上で「炎の虎」がスタートしました。
聖悠紀先生のすべてが始まったのです…..。
私も「超人ロック 炎の虎」執筆時に新宿抜弁天近くの岡芳マンションに何度も原稿を取りに参りました。
聖先生は若かった・・・。
少年キング元編集長/少年画報社 代表取締役
戸田利吉郎

【 聖悠紀先生 プロフィール 】
昭和24年12月21日生まれ。
新潟県新発田市出身。
1967年 「超人ロック ニンバスと負の世界」が作画グループの肉筆回覧誌に掲載。
1979年 「少年キング」(少年画報社刊)にて、「超人ロック 炎の虎」連載開始。
2020年パーキンソン病で闘病中であることを公表。
2021年1月号から「ヤングキングアワーズ」で連載中の「超人ロック カオスブリンガー」を休載。
お別れは近親者のみで済んでおり、2023年のお別れの会を開催予定。
【担当:芸能情報ステーション】