“ジョホールバルの歓喜”をホテルで、ただぼーっと
兵庫県出身で、北海道大学法学部を卒業後、1957年に入行した河谷さんは専務や副頭取を経てバブル崩壊後の94年、頭取に就任。
都市銀行で唯一、経営破たんした拓銀「最後の頭取」です。
金融自由化によって進む大企業の銀行離れ。バブル期の拓銀は高級リゾートなどへの巨額投資を重ねます。気付けば、不良債権は1兆円規模に膨らんでいました。
そして、1997年11月16日。日本がワールドカップ初出場を決めた"ジョホールバルの歓喜“の夜。河谷さんは、札幌市内のホテルの一室でただぼんやりとその試合を見ていたといいます。
すでに大蔵省に言い渡され「覚悟はしていた」という河谷さん。
河谷禎昌さん(2024年11月)
「大蔵省から『あす公表します』ということで、自宅には帰らずに、札幌市内のホテルに泊まった。記者なんかが来るとうるさいから。そこで、テレビ見てたの、ただぼーっと見てましたよ」














