舞台役者を手厚く処遇した米軍

その後、光晴さんも子役として舞台に立ち、軍の慰問などで各地を巡業。米軍からは好待遇で扱われたといいます。

役者の芝居を見ようと大観衆が押し寄せた


さらに県内各地で劇団が発足し、至るところに劇場もできるなど、沖縄の芸能が復興していきました。しかし、父・光裕さんの心境は、複雑だったようです―

――「あくまでも『軍政に協力する』原則を無視しては成り立たない。米軍側にしてみれば、多分に “住民宣撫工作” の手段として考えついたのではないか」(光裕さんの著書・石扇回想録より)

戦争で得られるものは「何もない」

戦争で得られる者は何もない、と語った島袋光晴さん

島袋光晴さん
「戦争というのは、絶対駄目です。これは。どの世代であっても、こういったことはやっちゃいかん」

戦争で傷ついた人々の心を癒したクリスマス演芸大会。沖縄芸能の復興の出発点となったことも事実でしたが、そこには複雑な背景がありました。