3年生の担任、英語科主任、バレーボール部顧問に加え、前年度まで専門の教員が担当していた学校運営業務も
この年度、夫が担っていた職務は多岐にわたっていた。
3年生の担任、英語科主任、バレーボール部顧問これらは多くの高校教師が担当する一般的な業務だ。しかし、この年は違った。
前年度まで専門の教員が担当していた企画進行主任という役割が、夫に割り当てられた。
学校運営に関わる業務だ。
「安徳君に任せてたら大丈夫だよね」という存在になっていたため、学校側は業務命令という形で彼にこの役割を課した。
夫は何度も断ったが、引き受けざるを得なかった。
さらに、8月には2年生のニュージーランドホームステイに15日間引率する役割も担当。
夫は3年生の担任であり、夏休みは推薦入試の書類作成など、入試業務に追われる重要な時期だ。
その15日間をホームステイの引率に取られてしまった。
安徳晴美さん
「秋には本当の1月、2月っていうのは入試業務が大変になりますよね。試験がどんどん3年生は。そうなると、その業務が11月以降に重なってくるんですね」
日々の授業準備、採点、添削は学校だけで終わることなく、毎日深夜まで自宅に持ち帰って作業しなければならなかった。
ストレスはどんどん溜まり、責任感の強い夫でも、人間として限界に達していた。
安徳晴美さんが北九州市立大学の特別授業で語った話は
「倒れた日、朝の夫の顔色はどす黒くて・・・とにかく顔色が悪かったです」125時間30分の残業果てに 妻が語った高校教師の「過労死」
「安徳君は頑張ったんだけどね。残念でしたよね」校長の言葉に絶句「過労死」した高校教師の妻125時間30分の残業の果てに
「命より大事な仕事はありません」高校教師の「過労死」 月125時間30分の残業の果てに・・・41歳で倒れた夫を15年間支えた妻の言葉
3部に分けて掲載しています。














