「ばあちゃん、おめでとう」ー 孫の祝福を受ける、糸満市大里の山城スミさんは、数え年97歳のカジマヤ―を迎えました。

子ども2人、孫6人、ひ孫9人に恵まれた山城さん。米国にいる家族もかけつけ、にぎやかなお祝いです。

飾り付けたトゥクトゥクに乗って、地域をパレード。 山城さんの長寿にあやかろうと、家族のほか地域の住民150人以上が集まりました。

長生きの秘訣は「食べもの」と答えた山城さん。そう答えた背景には、食べることさえ難しかった戦争体験がありました。

1945年3月、米軍の攻撃が始まると、山城さんは自宅の敷地内に家族で掘った簡易的な「屋敷壕」に身を潜めました。

しかし6月になると爆撃は日ごとに激しさを増し、6月15日、故郷の糸満市大里は米軍の手に落ちました。

▼山城スミさん
「空襲。弾。自分、逃げて。音聞いて分かるわけ。近いか、遠いか」

4人きょうだいの長女だった山城さん。徴兵されて戦場に向かった父親から、家族を守るようにと言われていました。

「自分が上だから。お父さんもいないさあね、兵隊行って。だから皆(私に)、ちゅーばーと(強い人と頼って)、ついてくるわけ」

攻撃が止まった夜には祖母と母親の3人で、食糧調達のため壕を出た、16歳の山城さん。 家族のため、命がけの行動でした。