第二次世界大戦後、旧ソ連によってシベリアに抑留され強制収容所で過酷な労働を強いられた日本人たち…新潟県内にも、抑留経験者は数多くいますが、定年退職後その体験を本にまとめた95歳の男性がいます。男性が語る抑留の実態と平和への思いを取材しました。
【鳥谷部仁さん】
「必死ですね。とにかく必死でもう…どんなことがあっても、という風にみんな考えていた」

こう話すのは、新潟市に住む新潟大学名誉教授の鳥谷部仁(とやべ じん)さん(95)。第二次世界大戦の終戦後、シベリアで4年間にわたって強制労働をさせられました。
【鳥谷部仁さん】
「貨車に乗せられて外からカギをかけられる。もうしょうがないというような…」
鳥谷部さんが書いた当時の汽車のイラスト。
終戦の8か月前、17歳で満州に渡った鳥谷部さんは参戦してきた旧ソ連軍によって捕らえられてしまったのです。
【鳥谷部仁さん】
「北満鉄道を北上していくわけですけれども、途中に綏化市だったか街がある。そこに停まるわけ。そこからまた朝鮮の方に鉄道が通っている。あの辺から帰してくれないかなというのをどっかで考えていた」
もちろん日本に帰してくれるわけはなく、どこに連れていかれるか分からない汽車の中…。捕虜になるという「諦め」とこの先の不安が入り交じる中、汽車は満州から遠く離れた旧ソ連へと向かっていきます。