遺骨さえ故郷に戻らなかった兵士の遺品です。太平洋戦争で戦死した広島県三原市出身の男性の遺品となる「日章旗」が、アメリカから遺族の元に戻りました。

返還されたのは、三原市出身で、旧海軍の兵士としてパラオのペリリュー島で戦死した明鎮憲登さんの日章旗です。
日章旗は、アメリカ軍の元海兵隊員、リチャード・ジョンソンさんの家族が保管していました。受け取ったのは、憲登さんの妹・広田系子さんと、甥の明鎮俊成さんです。

日章旗は、およそ縦70センチ・横80センチ。「武運長久」など勝利と無事を祈る言葉とともに、家族や地域の人々の名前が記されています。多くの日本兵は、寄せ書きの日の丸をお守りとして身につけていたとされます。
一方、アメリカ軍などにとって日章旗は、敵軍のシンボル。当時は戦利品としての人気が高く、戦地から持ち帰ったものが今も世界中に残されたままだといいます。

リチャードジョンソンさん
「父から日章旗のことを聞いたことはありませんでした。他のものと一緒に自宅に保管されていて、戦争体験について多くを語らない人でした」