盛岡市出身の学者、教育者で、国際連盟事務次長として活躍した新渡戸稲造。
「国際人としての新渡戸稲造についてもっと知ろう」というキャンペーンが盛岡市で行われています。

2025年は盛岡市とカナダ・ビクトリア市が姉妹都市提携を結んでから40周年の記念の年となります。
盛岡市とビクトリア市が交流するきっかけになったのは、盛岡市が「新渡戸の生誕の地であること」、ビクトリア市は「新渡戸の終焉の地であること」からです。

40周年を記念して、盛岡市の先人記念館では「キッカケはニトベ!新渡戸稲造を知ろうキャンペーン」を実施しています。
館のエントランス近くに、新渡戸の遺品13点を展示しています。

こちらは新渡戸が議長を務めた「太平洋問題調査会」の京都会議の記録を収めた「太平洋問題」という書籍です。この中には新渡戸による「開式の辞」などが治められています。


こちらは新渡戸が愛用したトランクです。
前面に「KYOTO」の文字が見えます。
これは「太平洋問題調査会」の京都会議のステッカーです。
新渡戸が、京都会議の議長を務めたことをとても誇らしく感じていたことが感じ取れます。
京都会議で議長を務めた新渡戸。国際連盟の事務次長を務めたことと並び、この活躍が国際人としての新渡戸の大きな功績の一つであるといわれています。

掛け軸。右に「あづさ弓 放たぬ先に岩がねも つらぬく征夫は心なりけり」の歌が書かれている

こちらは、新渡戸が書いた掛け軸です。
「あづさ弓 放たぬ先きに岩がねも つらぬく征夫は心なりけり」と書かれています。
新渡戸がこの掛け軸を書いた時期は、日米が戦争が対立を深め、戦争へと突入していく時期でした。
国家間の交流には「お互いを理解し合うことこそが大切である」と訴えていた新渡戸でしたが、次第に対立を深める両国。
「それでも決して折れることなく、信念を貫こう」と新渡戸が自分に言い聞かせているように感じられます。

羽織。女性物であると言われている

こちらは、メリー夫人が親族に贈った羽織です。背中と両袖に新渡戸家の家紋「月星」が入っています。

盛岡市先人記念館の主任学芸員、中浜聖美さんは「『お札の人』『国際連盟事務次長』からもう一歩踏み込んで、日本を理解してもらうよう務めた晩年の新渡戸稲造のことも知って欲しいです」と話していました。

このキャンペーンは11月16日(日)まで、盛岡市の先人記念館で開かれています。