あの日の光景「夢じゃないかと」
郡家さんには、長崎医科大学の薬学部に通う兄・淑郎さんがいました。薬でガンを治したいと勉学に励んでいたといいます。

しかし1945年8月9日、すべてが一変しました。
郡家さんは、爆心地から2.7㎞の長崎市下西山町の下宿先で被爆しました。
郡家さん「ものすごい閃光。目の前が何も見えなくなる。床に倒れたと同時にものすごい爆風がきて、もう『やられたな』と思いました」

自身はガラスの破片により軽いけがですみましたが、爆心地から600mの大学にいた兄はなかなか自宅にもどってきません。
翌日、郡家さんは兄を探し始めました。
郡家さん「山の上まで来て、爆心地付近の浦上が見えると、何もないでしょ。燃えてしまって」
「何を見てるんだろうと思って、夢じゃないかと思うぐらい、自分の目を疑った」
郡家さんの目に映ったのは、一面に広がる焼け野原でした。
兄を探して
郡家さん「半分の白骨、黒焦げの死体、真っ赤になった死体。そのうち、もう何にも怖くなくなって、無神経になって」
「怖いと思ったら前に進めないですもんね。無我夢中で自分を無くしたような感じで歩いて、歩いて行きました」
郡家さんの被爆手帳にも、当時のことが記されています。
『連日 兄を探し歩いた』

しかし兄・淑郎さんとは、2度と会うことはありませんでした。