大阪・関西万博の会場で、RCCは被爆者の証言を聞くイベントを開きました。会場では証言を通して80年前の記憶を未来につなぐ方法を考えました。

6歳の時に、爆心地から2・3キロで被爆した田中稔子さんが大阪・関西万博の会場に到着しました。これまで80カ国以上で被爆体験を証言してきました。人混みをかき分けたどり着いたのは、国連パビリオンです。

国連パビリオンでは、戦争と平和をテーマに原爆に関する資料を画面上で知ることも出来る特別展示(国連広報センター・TBS主催)が行なわれていました。

その最終日に行なわれた、被爆証言を聞くイベント。関東から九州までの各地から訪れた参加者に田中さんは語りかけました。

田中稔子さん
「辺りは真っ白になって目が眩んで何も見えなくなりました。右腕で顔をおさえたらしいんですね。頭と右腕左首のうしろにやけどを負いました」

被爆による差別も受けた田中さんは、70歳まで被爆体験を話すことができませんでしたが、世界を旅した際、証言したことをきっかけに、活動を続けるようになりました。

田中稔子さん
「どうぞこれからも多くの国に友人をたくさん親しい友人をたくさん作ってください。大好きな友人のいる国に問題が起こったら彼らの頭上にもすぐに爆弾を落としてしまえという気にはならないでしょう。その躊躇する気持ちが大切で、そこから真剣な外交による解決が始まると信じています」

イベントに登壇した国連広報センターの根本かおるさんは、設立から80年となる国連が1946年1月に初めて採択した決議が、核兵器を含む大量破壊兵器の廃絶のための決議だったと紹介しました。

国連広報センター根本かおる所長
「国連ではですね、被爆者の方々の努力に力を借りながら、非力ではありますが、私たちの最重要課題の一つとして核軍縮に取り組んでいるという状況です」

また被爆2ヶ月後の広島のフィルムをAIを活用してカラー化し、追加取材で修正した映像を公開。参加者たちは真剣な表情で見つめていました。

参加者
「核のない、世界に向けて自分のできることを草の根にはなるかもしれないが、積極的に参加していきたいと思いました」

このイベントの模様は、9月30日深夜0時55分からRCCテレビで放送します。