「自分も巡り巡って、誰かに恩を返せる人になりたい」。宮城県出身で、東日本大震災が発生した当時、石巻市の高校を卒業したばかりだった原田真衣記者。雪が降りしきる中、一緒に津波から逃れた人たちが上着や靴を貸してくれた時、「違う誰かに返してくれればいいから」と言ってくれた言葉が忘れられないと、話します。

■2011年3月11日の震災発生当時見た光景は


ーー震災前はどんな生活をしていましたか?

2011年3月1日に石巻の高校を卒業して、東京の大学に進学することが決まっていました。なので、残り少ない地元の友達との生活をすごく楽しんでいる時に震災が起きたという感じでした。

高校時代の陸上部のメンバーと 中央が原田記者

ーー3月11日はどこにいたんですか?

石巻市内にあるレストランに高校の友人と2人で行って、これからの大学生活の話をしていました。そして、ちょうど「最近、地震多いよね」っていう話をしていた時に、下から突き上げてくるような、もう地響きが下から突き上げてくるような強い揺れを感じたんです。ただごとじゃないなと思って、レストランの机にただただ潜って、今、何が起きてるんだろう?とすごく不安な気持ちになったのを覚えています。

ーー周りはどんな様子でしたか?

レストランの厨房にある鍋とか色んなものが転がってきていました。何が起きてるのか分からない状態でどうしようと思っていたら、どこからか「津波だ!」っていう叫び声が聞こえて、外に出たら遠くから黒い津波が迫ってくるのが見えたんですね。

当時いた場所が直線距離だと海まで1キロぐらいのところで、黒い津波が迫ってくるのが見えました。レストランのそばの坂を登ると4メートルぐらいの高さのところに貨物列車の線路があったので、そこに友人やレストランの人たちと、とにかく必死で逃げたのを覚えています。

地震直後の石巻市内 津波により街が浸水し始めている(避難時に原田記者が撮影)

ーー実際に見た津波はどういう感じでしたか?

石巻は港町で、高い所に登ると海が輝いて見えていたんですね。教室の窓からも海が見えて、その景色がすごく好きでした。だけど、津波ってただの海の水じゃなくて、真っ黒で、勢いがすごくて、ちょっとチョロチョロ水が来たかなと思った瞬間にはもう、かなり高い波が押し寄せていました。自分たちの誇りで、好きだった海がこういうふうに形を変えて私たちを襲うというのがすごくショックでした。