戦争の記憶と平和の大切さを伝えるシリーズ1回目は、広島で被爆し無念の死を遂げた岩手県出身の元宝塚俳優園井恵子を語り継ぐ動きです。

元宝塚俳優の園井恵子、本名・袴田トミは、広島に投下された原子爆弾で被爆。終戦も過ぎたその半月後に療養先の神戸市で原爆症によりこの世を去りました。32歳という若さでした。

(浅子 順子さん)
「戦争が終わってから『これでやっとお芝居ができる』って言ってすごく喜んでいらっしゃったというのを聞きました」

園井の舞台への情熱を語り継ぐのは、宝塚歌劇団の後輩に当たる内海明子さんの長女の浅子順子さんです。東京の浅子さんの自宅で話を聞きました。浅子さんの母の内海さんは宝塚時代、園井と同じ雪組に所属。周囲から「ハカマちゃん」と呼ばれていた9期先輩の園井を慕い、園井もまた内海さんのことを気にかけ、ともに演技を磨いたといいます。

(浅子 順子さん)
「一番敬愛する方でいらしたし、ずっと母は死ぬまでハカマさんの生き方をどこかに持っていたと思います」

広島での被爆から3日後、神戸市の知人の家に身を寄せた園井を、浅子さんの母の内海さんは懸命に看病しました。放射能の影響で高熱に苦しむ姿を見ると、街を走り回って氷を手に入れました。

(浅子 順子さん)
「鼻と口元に当てたら『あぁ気持ちいいわ』とおっしゃったのが母が最後に園井さんから伺った言葉だったと言っていました」

園井の最期を看取った内海さんは戦後、2010年に亡くなるまで講演会活動などで園井の芝居に懸ける情熱やその生涯を発信し続けました。