戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。列車が標的とされた「湯の花トンネル列車銃撃」からきょうで80年。慰霊の集いが行われました。「80年経ったとは思えない」。目の前で姉を亡くした女性がそう語った理由とは。
きょう、東京・高尾山のふもとで「慰霊の集い」が行われました。中央本線「湯の花トンネル」。80年前のきょう、この場所で列車がアメリカ軍戦闘機の銃撃に遭い、死者52人以上という国内最大規模の被害が出ました。
当時13歳だった黒柳美恵子さん(93)も、目の前で姉を亡くしました。
銃撃で姉を亡くした黒柳美恵子さん
「(平和な)こういう時代を知らないで、銃後で死んじゃうなんてかわいそうだったな。私これ好きなの、この写真。家族全部で」
数少ない家族写真。美恵子さんの向かって右に写るのが、姉の良子さんです。
太平洋戦争末期、アメリカ軍戦闘機などが日本本土で機銃掃射を繰り返し、民間人を乗せた列車まで容赦なく標的となりました。
1945年8月5日、美恵子さんは疎開のため姉妹2人で新宿駅を出発しましたが、列車は「湯の花トンネル」の入り口付近で銃撃に遭いました。
銃撃で姉を亡くした黒柳美恵子さん
「いきなり弾の音がしてきたんですよね。(しばらくして)おそるおそる頭を上げて姉に声かけたんですけど、全然返事ないわけですよね。揺さぶっても何しても」
良子さんは頭を撃たれ死亡。17歳でした。
銃撃のあと、上空を飛行する戦闘機です。アメリカ軍の戦闘報告書には「本来標的だった飛行場などへの攻撃をとりやめ、たまたま見つけた列車を狙った」と記されていました。
戦後、母・ますゑさんは「娘を亡くして生きているのがいやだ」と漏らしたこともあったそうです。
銃撃で姉を亡くした黒柳美恵子さん
「(母は)わが子を亡くしたので死ぬほど苦しかったけど、お父さんと私を置いて死ぬわけにはいかないと言って。人生で一番変わったことだわね。8月5日って」
ますゑさんは58年後の8月5日、良子さんの命日に96歳で旅立ちました。
銃撃による被害について正確な記録は残されていません。それでも今年、慰霊碑には新たに身元の分かった6人の名前が刻まれました。
銃撃で姉を亡くした黒柳美恵子さん
「1人が亡くなったから1人で済むと思わない。それ(亡くなった人)には家族がいたり、友だちがいる。1人が亡くなったら何人の人も苦しむからね。80年経ったとは思えない、忘れたことないから私たちは」
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