岐阜県岐阜市の住宅街にある家の庭先に、連日夕方になると子どもたちが次々と集まってきます。2021年、日本一小さいと言われる駄菓子屋「きまぐれみつや」がオープンしました。6畳一間の小さな部屋いっぱいに置かれたお菓子を目当てに来る子どもたちの行列でにぎわうお店は、母が叶えた亡き娘の夢でした。

「日本一狭い駄菓子屋じゃないかと思う」地元の子どもたちの憩いの場


駄菓子店を切り盛りしているのは辻三津子さん(68歳)。平日は学校が終わる午後3時から6時まで、休日は午後2時から6時まで営業しています。


(きまぐれみつや・辻三津子さん)
「(店が)狭くて狭くて日本一狭い駄菓子屋じゃないかと自分で思うくらい狭いです。きのうは50人来ていましたね。賑やかです」

(小学6年生)
「(三津子さんは)いつも本当のおばあちゃんみたいに楽しく接してくれる」

店は、地元の子ども達の憩いの場となっていました。300種類以上の駄菓子の中には、昔ながらの商品も少なくありません。ほとんどは長女の明優美さんが好きだったものを並べています。


明優美さんは、2003年に重い心臓病のため19歳若さで亡くなりました。店にある時計やフィギュアは、全て明優美さんが使っていたものです。辻さん夫婦にとって待望の女の子でしたが、明優美さんに生まれてまもなく重い心臓病が発覚しました。


(きまぐれみつや・辻三津子さん)
「『命が持っても最高で2歳までですよ』と医師に言われました」

しかし、明優美さんはその後小学校、中学校と進み、不登校になったクラスの友達に手紙を書くなど明るく、思いやりのある優しい子に育ちました。

「できることを目一杯楽しんでいた」突然訪れた娘との別れ


明優美さんは体が弱く、自力で歩けるのはわずか50メートルほど。学校以外は部屋で過ごすことがほとんどだった娘のそばにいられるように、三津子さんは自宅で駄菓子屋を始めたのです。

(きまぐれみつや・辻三津子さん)
「(明優美さんが)『できないことを嘆くよりも、できることを喜んでやればいいんだよね』っていつも私にそう言ってくれて。できることを目一杯楽しんでいた。30歳くらいまではこのままなら頑張れるかなって思っていた」


ところが、“そのとき”は、突然訪れます。駄菓子屋の最後のお客さんが帰った後、三津子さんが店を閉めて部屋にいた明優美さんに声をかけると、ベッドで息が荒い状態で寝ていました。その日の夜中、まるでゼンマイ仕掛けのネジがゆっくり止まるように息を引き取りました。

予期せぬ突然の別れ。深い悲しみとともに三津子さんは子どもたちでにぎわっていた駄菓子屋も、やめてしまいました。今も、明優美さんの部屋には生前使っていた学習机が残っています。


(きまぐれみつや・辻三津子さん)
「遊園地に行った写真もありますし、お友達に出すために書いたのに渡してないのかな。触ったり見たりするとつらさや悲しさが沸いてきてしまう」

明優美さんが使っていた部屋は死後5年間、全く手つかずでした。ようやく遺品の整理を始めた際、母親の三津子さんは思いがけない真実を知ります。