那覇市首里の中城御殿跡で6日、不発弾の処理が行われ、無事に終了しました。
中城御殿は琉球王国時代に王の世継ぎが住んでいた屋敷で、沖縄戦で焼失しました。アメリカ世を経て本土復帰後、県立博物館が建てられましたが2006年におもろまちに移転。現在は、復元工事が進められていますが、今年5月、米国製の125キロ爆弾1発が御内原と呼ばれるエリアで見つかりました。

現場から半径およそ250メートル以内に住む住民など、約2300人に避難が呼びかけられ交通規制が敷かれました。
処理作業は6メートルの深さの穴で信管を取り除く方式で行われ、午前10時37分に無事、終了しました。

注目の記事
「ランドセルは潰れ、血まみれに」翔樹くん8歳の命奪った信号無視のクレーン車 母親が語る“あの日” 事故当時お腹の中に新たな命が【交通事故根絶へ・前編】

【独自取材で判明】全国214の政治団体が収支報告書「2年連続未提出」で事実上解散 「法律を知らなかった」「把握していなかった」政治とカネへの甘い認識 開き直る議員も...

「武蔵が沈んだ…」部下を思い、涙した初代砲術長・永橋爲茂 戦後なぜ、家族を残し一人島で暮らしたのか #きおくをつなごう #戦争の記憶

「BYD」「テスラ」米中2大EVメーカーが北海道進出《なぜ?》「北海道はブルーオーシャン」寒冷地でEVは普及するのか ノルウェーでは93%のEV浸透

「ニュースのYouTubeで自分だと…」50年前の一番乗り兄弟を発見!決め手は“広島カープの帽子” 新潟・阿賀野市『サントピアワールド』

忘年会「参加したい」若者4割の裏で…「行きたくない」50代の切実な理由 昭和を知る上司世代の“ハラスメント”恐怖









