川崎一郎(かわさき・いちろう)さんは被爆当時42歳。
爆心地から2.5キロ離れた立山グラウンドで被爆しました。
その後、長崎駅を中心に怪我人の救護活動にあたりますが、被爆の約1週間後から発熱や頭痛、下痢など原爆症の症状を発症。
以来、入退院を繰り返す生活を続け、晩年には自宅で寝たり起きたりの不自由な毎日を送りながら長崎原爆被災者協議会西浦上支部の理事として被爆者援護の活動に力を尽くしました。
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