全国公開に先駆けて、今月13日から沖縄で先行上映中の映画「木の上の軍隊」。

いちはやくこの映画を観ることができたのは、映画館のない伊江島の子どもたちでした。

沖縄本島からフェリーで30分。

本島北部の離島、伊江島で映画「木の上の軍隊」の上映会がおこなわれ、島の中学生およそ100人が参加しました。

平一紘監督
「先行公開が明日からなんですけど、きょうこの場で、皆さんに初めて見てもらえてうれしいなと思っています」

この映画は、1945年、伊江島で激しい攻防戦が展開される中、二人の日本兵が木の上に身を潜め、終戦を知らずに2年もの間生き延びた…そんな実話をもとにしています。

映画のなかで、山田裕貴さん演じる沖縄出身の新兵・安慶名セイジュンのモデルとなったのが、佐次田秀順さんです。

RBCでは、20年前に佐次田さんを取材していました。

佐次田秀順さん
「壕には行きどころが無いから、あっちこっち探しまわった場合に、屋敷にガジュマルが生い茂っているところに出会った」

旧日本軍に召集され伊江島に配置された佐次田さんは、多くの日本兵が犠牲となる中、アメリカ兵から逃れるため、ガジュマルの樹の上に身を隠しました。

沖縄戦当時、旧日本軍の飛行場があった伊江島では、度重なる空襲や6日間にわたる地上戦が行われました。犠牲者は、日本兵2,000人、住民1,500人にのぼります。

島を占領したアメリカ軍が住民を別の島に強制移住させたため、佐次田さんは終戦についての情報を知る術もなく、その後、2年間にわたり樹の上で生活を続けたのです。

佐次田秀順さん
「寂しいとか怖さとかは、通り越してね。とにかくアメリカ兵に見つけられないように工夫をいつもして、そういった面では緊張していた」

宮崎県出身の日本兵とともに昼は動かず過ごし、夜はアメリカ軍のごみ捨て場で食料を探すという日々。

極度の緊張のなかで、体調を崩すこともありましたが、島の人が強制移住から戻ってくるまで、何とか生き延びることができました。

佐次田秀順さん
「もういっぺん、家族の、妻子の顔を見てから死にたいなあと思うほど家族のことが頭に浮かんだ」

晩年の佐次田さんは、島を訪れ自らの体験を積極的に子どもたちに語ってきました。

(児童と佐次田さんやりとり)
児童「木の上で暮らしている時にどんなことを考えていましたか?」
佐次田さん「いつかはね、日本から大きな部隊が来てね、我々はその部隊に助けられると。それを願ったり、思ったりした」
児童「うんこやおしっこはどうしていたんですか?
佐次田さん「夜の間に済ませる。木の上に上がったら、出来るだけな何も食べないようにする」

佐次田さんの体験をもとに映画化された「木の上の軍隊」。
島の子どもたちはどう受け止めたのでしょうか。上映会終了後、子どもたちから、県出身の平一紘監督に様々な質問や感想が寄せられました。

生徒
「戦争が怖くて」「残酷なことがわかりました」「この傷口を再現するのはどうしたんですか」
平一紘監督
「この映画では戦争の悲惨さから逃げたくないなと思いました。ひとりひとりのこの死というものが、実際にみんなの知っている人が死ぬように、苦しいように、本当に、ある意味残酷に描く必要があると思ったので、見ていて痛いし、つらかったと思います。だからこそ、その反面、生きているとか笑っているとか、そういうふざけているシーンとかが浮き出るように作りました」

生徒「僕も6年生のときに平和劇で、堤さんと同じ(上官)役を演じたんですけど」
生徒「堤さんの方がレベルが上でした」

また、上映会では、伊江島出身のシンガーソングライターAnlyさんが、主題歌「ニヌファブシ」を初披露。

Anlyさん
「私もやっぱり小さい頃から伊江島に育って、平和学習、こんなふうにしてもらったから、知れたので、そのきっかけづくりに関われたのはとてもうれしいなと思いました」

平一紘監督
「この島から生まれたこの映画が、これからたくさん、沖縄本島、そして日本、世界にどんどん広がっていくと思うので、みなさんこの映画で見た景色を誇りにもって、大きくなっていってほしいなと思います」

伊江中学校3年生
「映画のなかでも自分たちが知っている場所とかがたまに見られたりとか」「もし戦争が今でも起こるってなったときに、自分たちがこういうことになるのが、なんかわかったかなって気がします」

伊江中学校3年生
「(ガジュマルの話は)知ってたんですけど」「こんなひどいというか、大変なことだとは知らなかったから、知れてよかったです」

戦後80年の節目に公開された「木の上の軍隊」。ガジュマルの木の上で生き延びた兵士の実話に基づく物語は、映画という形で全国に発信され、戦争の記憶をつなぎます。

映画「木の上の軍隊」は、全国では来月25日から公開されます。