あさって22日、水島空襲から80年を迎えます。若い世代に平和について考えてもらおうと、岡山県倉敷市の水島地区に残る当時の地下工場跡などをめぐる見学ツアーが行われました。

(地下工場の説明)
「昭和20年4月から、みんなと同じくらいの子どもたちと、何人かの監督の先生が入ってきて、8月15日、戦争が終わるまで仕事をしていた」

今月14日、岡山県倉敷市の水島地区にある亀島山地下工場跡を、小学生から高校生までの4人が訪れました。

戦時中の水島の歴史を伝え、平和について考えてもらおうと岡山ユネスコ協会が企画した見学ツアーです。

(岡山ユネスコ協会 徳山順子副会長)
「戦争を二度と起こさない、そういう風土を作っていきたいという気持ちで、また、戦争を知らない私たちの世代が、若い世代と一緒に語り継ぐ使命と責任があると思ってこの会を開催しました」

亀島山地下工場は、軍用機を作っていた三菱重工業水島航空機製作所が太平洋戦争末期、空襲のおそれが増す中で、近くの山に全長約2キロのトンネルを掘って疎開させた工場です。

軍用機の部品を作るため多くの若者たちが動員され、若い女性もいたといいます。

トンネルは湿度が高くて暗く、過酷な労働環境でした。

(亀島山地下工場を語りつぐ会 村田秀石さん)
「こんなトンネルを掘って、中に機械を運び込んでまで戦争を続けようとする。それは一体どういうことなのかなということを考えてほしいなと思いました」

続いて訪れたのは亀島山地下工場の石碑です。地下工場の概要とともに、朝鮮半島から強制的に徴用された人たちによってトンネルが掘られたことも伝えられました。

あさって22日で、水島空襲から80年です。アメリカの爆撃機が軍用機の工場を狙って爆弾を投下し、11人が死亡、46人が重軽傷を負いました。

戦争の歴史を学んだ若者たちはそれぞれの思いを書き留め、語りました。

(中学生)
「戦争が終わっても傷を癒すことができず、残り続けてしまう、とてもおそろしいものだとあらためて話を聞いて実感することができました」

(高校生)
「戦争を経験していない私たちがそういうの(戦争の話)を聞いて、語り継ぐ使命、責任というのが平和のためには必要だと思いました」

戦後80年。戦争を知らない若者たちが平和への願いを新たにしていました。