■「生きていれば…」生死の境をさまよい気づいたこと
2000年に国語の教師として帝京安積高校に赴任した菊池先生。

この年に吹奏楽部を立ち上げましたが、環境は不遇。当初は楽器がなく、近隣の高校に楽器を借りて練習していました。
さらに、2002年には髄膜炎を発症。1か月意識が戻らず、生死の境をさまよいました。
菊池先生「終わったなと思った。記憶も維持することができないと思いながらいた。だから絶望でしかなかった」

それでも、この経験から「生きていれば面白いことがある」と思うようになり、部員たちに夢や目標を持つことの大切さを伝えてきたといいます。

菊池先生「悲劇は悲劇のままで終わらないなといつも思う。必ず僕たちに成長をもたらしてくれる」
冒頭に掲げた言葉は、こうして生まれました。
そんな菊池先生の指導は、教えるでも導くでもなく「寄り添う」。
その象徴とも言えるのが、2019年度の卒業生に贈った言葉でした。

菊池先生「僕にとってあなたたちは『憧れ』でした。どんな時でも僕の『憧れ』である、あなたたちのままでいてほしいと思う」
部員たちは「憧れ」。

この腰の低さが部員との信頼関係を育み、一体感のあるサウンドが誕生。
いつしか「帝京安積で吹奏楽がしたい」と多くの部員が集まるようになり、強豪へと成長していきました。

菊池先生「20年前、ここまでなるとは誰も想像つかなかったのかなと…夢をみんなが持ち寄ったからこういう部活動になってきたのかなと」
今年の3年生は、コロナ禍で入学した世代。
そんな中、夏の吹奏楽コンクールでは東北大会に出場。
さらに、11月20日の全日本マーチングコンテストの出場を決めるなど好成績を残しています。
菊池先生「この3年間、何のために頑張っているのか、分からない時期もあったと思う。それでも部員たちは頑張ってきた。努力を続けてきたからこそ分かる喜びがあると思う」

今年3月には、第20回の節目となる帝京安積の定期演奏会が開かれます。
菊池先生は、コロナ禍を乗り越えた部員たちとともに、指導者としてのひとつの集大成となる演奏を披露します。