幼くして親を亡くし、祖母に育てられた吉田さん。
4歳のとき自宅で被爆。防空壕に逃げる途中、落ちてきたトタンが顔に一生残る傷をつけました。
長年、自身が被爆者であることを隠していましたが、被爆50年を前に長崎原爆被災者協議会に入り、平和活動にかかわるように。
核実験への抗議運動のほか、日本被団協の被爆者相談員として韓国人被爆者に対する支援活動なども行いました。(2004年撮影)
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