被爆当時39歳。
原爆で妻、子ども、兄弟あわせて11人を亡くしました。
原爆投下時は軍の特別警備隊員として東長崎におり、8月11日に家族を捜すため被爆地に入り入市被爆しました。

1945年12月、原爆で破壊された浦上天主堂のがれきの中から永井隆博士らとアンゼラスの鐘を掘り出しました。山田さんはカトリック信者で戦後40年以上にわたって毎朝5時半に浦上天主堂のアンゼラスの鐘を鳴らし核兵器廃絶を祈り続けてきました。(1994年撮影)