慰霊のため沖縄を訪問中の天皇皇后両陛下と長女・愛子さま。きょうは、戦争中、アメリカ軍に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の記念館を訪れ生存者と懇談されました。
1484人犠牲の「対馬丸」 両陛下と愛子さまが慰霊

壁一面にある遺影。ここは、那覇市にある「対馬丸記念館」です。

1944年、沖縄から疎開するため学童たちが「対馬丸」という船に乗り込みましたが、アメリカ軍の攻撃で沈没。学童約780人を含む1484人が犠牲になり、この出来事を後世に伝えるための場所です。

5日、記念館を訪問された両陛下と愛子さま。子どもたちの遺品である授業のノートなどを真剣な表情で見られていました。
その後、懇談されたのは、対馬丸の生存者・高良政勝さん(85)です。

「お兄様が書かれた手紙でお知りになった」
対馬丸の生存者・高良政勝さん
「そうです」
陛下が話された「手紙」。2013年、JNNのインタビューに高良さんは「手紙」のことを語っていました。

対馬丸の生存者 高良政勝さん(2013年)
「兄の手紙。御祖父母さまと」
当時4歳だった高良さんが沈没した対馬丸から救助され、再会した際の様子を綴った兄の手紙でした。

対馬丸の生存者 高良政勝さん(2013年、兄の手紙より)
「ボーイに抱かれた裸の子が降りてきました。よくみると政勝でした。かっちゃん、生きていたのか、ありがとうと泣きながら言って、走ってかっちゃんを受け取りました。不幸中の幸いで、けがはありません」
「けがはない」とありますが、高良さんは荒波の中、魚に噛まれ、背骨が見えていたといいます。
対馬丸の生存者 高良政勝さん(2013年)
「背骨が見えるくらいけがをしているというと心配する。祖父母に対する思いやりでそう書いたんだと思います」
高良さんは何とか生き残りましたが、両親ときょうだい、合わせて9人を亡くしました。
対馬丸の悲劇をこの記念館で目の当たりにするのは、両陛下にとっても愛子さまにとってもこれが初めてです。

対馬丸の生存者 高良政勝さん
「初めてですか、沖縄は?」
愛子さま
「はい、初めてで」
対馬丸の生存者 高良政勝さん
「晴れましたね」
愛子さま
「きょうはお暑いくらい」
上皇ご夫妻から続く対馬丸記念館への訪問に、高良さんは…

対馬丸の生存者 高良政勝さん
「こんな小さい記念館に二代の皇族がおいでくださったなと。三代目もご一緒されたので非常に光栄に思いました。(記念館を)維持していかないといけないと、しみじみ感じました」
ご一家は5日夜、皇居に戻られます。