◇《最大速度100キロ…凄まじい破壊力の泥流がマチへ…》



“融雪型火山泥流”と呼ばれ、雪をかぶった火山特有の現象だ。99年前、十勝岳は、水蒸気爆発で、山肌の一部が崩れ、熱く焼けた噴出物が、数メートルあった残雪を瞬時に溶かし、それが“泥流”となった。

木々をなぎ倒しながら、斜面を下り、泥流は富良野川をつたい、市街地まで一気に押し寄せた。最大100キロの速さで、十勝岳から市街地まで、わずか25分で到達。凄まじい破壊力で、一帯を壊滅させた。


NPO法人 環境ボランティア野山人 佐川泰正代表
「今から約100年前に亡くなられた144名の尊い命にお参りをしながら、フットパスのコースを歩いていきます」

“大正泥流”の痕跡を歩いて辿るイベント。地元だけでなく、多くの人が参加した。町の中心にある“上富良野橋”…。地元では別の名でも呼ばれている。

NPO法人 環境ボランティア野山人 井上文雄ガイド
「(大正噴火の当時)町で葬式があったときに、ご会葬者の皆さんとお別れする場所がここだった。通称“涙橋“と上富良野町の皆さんがよく言っている」


橋のすぐ傍には、当時、避難場所となった明憲寺(みょうけんじ)がある。 境内には、犠牲者144人を弔う碑が建っている。

NPO法人 環境ボランティア野山人 佐川泰正代表
「実は、私の直属の、父の兄弟、長男、一家9人が一緒に流されています」

代表の佐川泰正(さがわ・やすまさ)さん。祖父母が被災し、親戚含めて20人近くが、泥流の犠牲となった。

NPO法人 環境ボランティア野山人 佐川泰正代表
「それでは皆さん、手を合わせていただいて礼拝をお願いします」