昭和初期に旧京都帝国大学の研究者が、研究目的で持ち帰った今帰仁村の「百按司墓(むむじゃなばか)」の遺骨数十体が今月、京都大学から村に移管されました。


今帰仁村の運天港を見下ろす崖に位置する「百按司墓」は、グスク時代の有力な「按司(あじ)」が数多く葬られている墓で、村の文化財に指定されています。


この墓をめぐっては、昭和初期に現在の京都大学にあたる旧京都帝国大学の研究者が遺骨を持ち出し、京都大学で保管されていましたが、3年前に第一尚氏の子孫らが、持ち出された26体の遺骨の占有は違法だとして返還と損害賠償を求め提訴。その後、裁判で請求は棄却され大阪高裁は関係者の話し合いによる解決を促していました。


こうした中、去年12月京都大学と村教育委員会で「移管協議書」を締結し、今月21日に村歴史文化センターに遺骨が移管されたということです。

元原告らは一貫して遺骨を墓に戻すことを求めていますが、村教育委員会は移管協議書に則って埋め戻さない考えで「裁判の元原告らから希望があれば本人たちに限って人骨を公開する」としています。