長崎の平和運動をけん引した元長崎被災協事務局長の山田拓民さん。
14歳の時爆心地から3.3キロの県立長崎中学校で被爆。
大きなけがはありませんでしたが、母と、姉、弟2人は被爆後ひと月以内に次々亡くなりました。そして、中学2年だった山田さんは自らの手で家族の遺体を焼くことになります。
その時のことを振り返り山田さんは、涙一つこぼさなかった自分のことを
「やっぱり鬼だ」と語りました。
被爆者援護法の成立や証言集の発行に取り組むなど平和運動の先頭に立ち、33年間事務局長を務めました山田拓民さん。
2021年6月肺炎のため90歳で亡くなりました。
注目の記事
「ふるさと納税の返礼品に備蓄米」村長が認め さらに産地めぐる疑問が 熊本・西原村

福岡初のイスラム教徒へのヘイト街宣 1000年続く伝統祭礼「筥崎宮の放生会」を汚してまで…

「白いバースデーケーキが欲しい」食物アレルギーがある息子の願いが叶った日 【笑顔のケーキをあなたに 前編】

快適な秋は短くすぐ冬に…?今年も「四季」→「二季」か 22日冬の長期予報発表前に予報資料から見える“サイン”とは tbc気象台

「現金を使えない子が増えた」“新潟唯一の問屋”を継いだ駄菓子屋店主が日々感じる“現代の子ども”と時代を超えて続く“小さな社会” 新潟市秋葉区

「お昼ごはん、何が食べたい?」と聞かれたら…どう答える?地雷ワードと神ワード 共働き世帯増も、家庭内の役割は変わらず?
