長崎の平和運動をけん引した元長崎被災協事務局長の山田拓民さん。

14歳の時爆心地から3.3キロの県立長崎中学校で被爆。
大きなけがはありませんでしたが、母と、姉、弟2人は被爆後ひと月以内に次々亡くなりました。そして、中学2年だった山田さんは自らの手で家族の遺体を焼くことになります。

その時のことを振り返り山田さんは、涙一つこぼさなかった自分のことを
「やっぱり鬼だ」と語りました。

被爆者援護法の成立や証言集の発行に取り組むなど平和運動の先頭に立ち、33年間事務局長を務めました山田拓民さん。
2021年6月肺炎のため90歳で亡くなりました。